2023年ということと自分も現在43歳(1980年生まれ)で折り返し地点ということもあり、人生を振り返ってみようと思います。
一言で言うとキャリアの構築に苦しんだなぁと言う感じです。
市況感的にITエンジニアという職種が脚光をあびていることもあり、なんとかなっており、現在の待遇などに大きい不満はないのですが、もう少し戦略的にキャリア構築を進めるべきだったなと思っております。
自分への反省も踏まえて、学生時代〜現在までを振り返ってみようと思っております。
Contents
キャリア
学生時代(2005年3月に大学卒業)
中〜高ではそれなりに勉強はしており(高校受験は合格確実のところに落ちましたが・・汗)、一応は進学校に在籍していました。
高3の時点でおもったような成績がとれず、家が裕福で来年(浪人)でいいや・・・と甘い考えを持ってしまったこともあり、この甘さがあり、結局2浪してしまいます。
2浪時代はもう後がないということで精神崩壊寸前の状態になりました・・・いまだに人生で一番キツかった時です。
逃げると倍返しになる、というのを骨の髄まで教わりました・・・汗
志望校対策自体は正直あまりしておらず、第一志望ではないですが、なんとか地元の国立大学に進むことができました。
大学の学部は地球科学科というところだったのですが、もともと理系全般に興味があったこともあり、正直あまり考えずに選択したというのが本音です(汗)。
が、大学に入ってからあまり勉強や研究のモチベーションがわかず、正直熱心な学生だったとはいえなかったため、研究室時代(4年生)は大変でした・・・
ただ研究室の仲間が素晴らしく、いろんな方にサポートしていただき、4年で卒業できました。
自分は劣等生だったのですが、本当にいい仲間に恵まれました。
4年まであまり勉強していなかったので知識などが不足している自分にアドバイスしたりしてくれ、最後の発表はそこそこ上手くでき、若干涙目に。
あのメンバー研究をやれてよかった、と思っています(欲を言えばもう少し真剣に研究をすべきでしたが)。
大学時代は勉強よりも3年からはじめた学習塾のアルバイトが楽しくそちらに入り浸っていましたね。結局この仕事が好きで、就活もせずに塾での仕事を続けていました。
この選択が人生で後々自分を苦しめることに・・・
もし学生時代、当時の自分に会えるとしたら以下の話をすると思います。
- 受験の本当の意味(合否以上に大事なのは受験をとおしてみにつける論理性×自己管理能力×向上心。浪人自体は不利ではないが、受験から逃げた場合、逃げ癖がつく。)
- 学歴の価値(表面的な学歴以上に大事なのは受験勉強自体の大切さと、高偏差値大学になるほど優秀な人間が多く、そういった環境に身を置けること。)
- ファーストキャリアの重要性(人生の6〜7割以上がここで決まってしまう。)
- 新卒就活の重要性(いわずもがな。既卒になると選択肢は数十分の1以下になってしまう。)
- 「好きなこと」の言語化= (「塾で教えることが大好き」→ 学習塾運営スタッフになったことの失敗。自分が本当が何が好きなのかの言語化ができていなかった。)
- 基本的なキャリアリテラシー(総合職の概念や転職する場合、キャリアにおける年齢×職種軸の重要性について。また学習塾運営スタッフとしての職種の汎用性の低さ。)
- 仕事におけるやりがいの獲得(仕事自体が楽しいよりも、目標達成や技術獲得における能力向上=年収アップなどを目指す方が現実的。)
- 仕事として続けるのが難しい「好きなこと」をしたい場合の選択肢の提示(職業としての実現性が低い場合、余暇や休日などで行うのはどうか)
1社目R社(2006年8月〜2010年8月)
バイト先の塾は当初は社員を受け付けていなかったので、(規模が小さく受け入れられなかった)別の業種に就職すべきかもなやんでいたのですが、当時はとにかく授業が好きで授業を続けていました。
実質的にはフリーターだったため、もちろんこのままでいいのか、と言う悩みは常にあり、就活的なことを少ししましたが、頭の中には塾の授業のことしかありませんでした。
小さい会社だったのですが1年ぐらいたったあと、買収などがあって、社員を雇えるまでになり、このとき誘われ、二つ返事で社員になります。
ただ私がすきだったのは教えるのが好き(正確には生徒から求められるのが好き)であって、運営スタッフが要求されるスキル=店舗マネジメント業務のなんたるかを理解してなかったんですよね・・・
入社してすぐに志向のミスマッチには気づいていました。ただ当時は仕事につくまでにあれだけ悩んだのだから3年は続けようとも思い、2年目からの職場の上司が大変尊敬できる方だったこともあり、つづけていました。
獲得スキル
売上管理
塾の仕事ですが、授業を教える仕事ではなく、基本的には教室の売上の管理になります。
一般論で言うと、「授業が好き」でこの仕事をえらんだ方は比較的苦戦しやすい傾向にあります。売上という営業的な視点に抵抗のある方が塾志望者には少なくありませんでした。
私もどちらかというと適応に苦しんだ方ですが、上司のサポートもあり比較的前向きに仕事に取り組むことができました。
要求されることは一般の営業職と近いと思いますが、
- 保護者・生徒の要望のヒアリング
- 商品(授業)の提案
- 日頃のコミュニケーションによる信頼の向上
- 募集活動全般(問い合わせ対応、DM作成、チラシ作成)
になります。
講師マネジメント
授業自体は自分がすることもありますが、ほとんどの場合でアルバイトの大学生講師がすることになりますので、いわゆるマネジメント的な部分になります。
- いかに講師への動機付けを行なって、授業に積極参加してもらうか(授業にはいってもらうか)
- 複数の講師で業務を行うことになるので、業務フローの連携や標準化(ここがずさんだとバイト任せになります。)
などが大切になります。
特に業務の標準化にあたる部分が大切で、ここら辺は全ての仕事に共通するところかと思います。(複数人で仕事をするときの進め方として、情報共有やマニュアルをどのようにするか)
教材研究
受験生時代、参考書を大量にかったのですが、仕事についてからはこだわりは徐々に薄れていきました(成績アップに大きい貢献はしないです・・・)。
教材に関しては市販のものをつかっていましたが、網羅性がある程度あり、レベルが極端に違っていなければ、過度にこだわらない方がいいと思います。
チラシ販促
仕事についた当初は教材研究をしていましたが、募集に直接影響を与えられるものはなにかと考えたところ、販促系のノウハウではないかと考えました。
代表的なところでは神田昌典さんなど、ダイレクトマーケティング系の書籍をよみあさっていました。
一度自分のアイデアでチラシを打たせてもらえる機会があり、そこそこ反応が良かったため(通常の数倍だったと記憶しています。)、かなり自信がつきました。
マクロ・ExcelVBA処理での事務の効率化
請求書印刷などの定型業の効率化を考え、自分で勉強しました。
社員一年目からとにかく事務処理が多く、これをなんとか簡略化したいということで勉強しました。
レベルで言うとfor文を書くとかその程度のレベルでしたが、ボタン一発で数十分かかっていた処理を一括でおこなうことができ、感動したのをおぼえています。
他にもすごく簡単なWebサイト作成などです。この時の体験が原点になり、プログラミングの道を歩みはじめることになります。
退職理由
4年で結局、いろいろ悩んで仕事の専門性が身につきづらいと自分は感じたこと、Webを活用した実家の健康食品&生命保険の販促に携わってみたいなどの想いもあり退職しました。
学習塾運営スタッフの仕事で身につくことは正直、社会人としての専門性はあまりなく、どちらかというとポータブルスキル的なものになりますが、あえていうと一番勉強になったのは業務に対する改善意識だったような気がします。
これは塾というよりは2年目からの上司の方が仕事に対して意識の高い方で、この方の影響が大きいです。(今は社長になられています。)
仕事に対して常に改善できることは何か、どうしたらいいかを考えている方で、実質的にはこの方の背中をみて仕事ができたことが一番財産だったかと思います。
ただ純粋なキャリア戦略という観点であとから振り返るとこの仕事に4年使ってしまったのは失敗だったと考えています。(20代の大事な時期をほぼ今いかしていない仕事に使っているため。)
個人事業主時代(2010年9月〜2015年3月)
塾を退職してからは個人事業主という形態で実家の健食&生保の販促やエンジニアとしての勉強をしておりました。
この時にすでに30歳です。振り返ると30代は受難の時期でした・・・・結果的にここからWebの道を歩み始めますが、キャリアリテラシーが未熟だったため、後のない年齢でウロウロとしていました。
終わったことをいってもしかたないですが、もう少し年齢に対する危機感を持ち、迅速に行動をすべきでした。
自分がエンジニアの仕事を始めたのが32歳ぐらいのときです。ストレートで大学を卒業した方と比べると10年遅れですね。
当時は今ほどエンジニア就職の情報がなかったということもあって、いろいろと苦労しました・・・
当初は開発者になれると思えず、他の仕事もしておりましたので、副業にでもなればと思っていたぐらいです。また教育業界にいた経験などもあったため、プログラミングスクールの講師などの仕事をメインにしようなどとも考えていました(結局、ニーズがあまりなくメインにはなりえませんでしたが・・・)
この年齢でのスタートですので一般的な規模の開発会社では厳しいと思い、主に小規模な開発会社でアシスタントレベル業務の小規模案件を数ヶ月単位でこなしていました。
この時に知り合った方のところで社員としても仕事をすることになり、社員としては2社目、3社目がこの時代に知り合った方とのところで仕事をしました。
獲得スキル
Web制作の基礎スキル
当時は実家のWebの販促などをやっていたこともあり、Web制作的なこともやっておりました。
いわゆるデザイン的な業務(Photoshop、Illustratorなどでデザインカンプ作成)+HTML/CSSコーディングです。
あとはWordPress系の小規模案件などもすこしやったりしていましたね。
また他の方にお願いをするディレクション的業務なども一時期進めていました。いろいろやってたなぁ・・・
PHP+MySQL/JavaScriptの小規模案件
主に半月〜2、3人月程度の小規模案件をわたりあるいていました。
案件自体が小さかったため、この時点で基本設計(要件を伝えられて、そこからどうコードに落としていくか)は身につけていましたね。
とにかく無我夢中でコードを書いていました。ほとんどが自分かまたはもう一人とのチームぐらいの規模でやっていたので、ほぼフルスタックです。
当時は基本設計なんていう概念自体をしりませんでしたが・・・
スクール講師
プログラミングスクールに一時期通っていまして、そのあと講師業務をしておりました。元々教えるのがすきだったこともあり、授業&教材作成を担当していました。
2社目F社(2015年4月〜2017年8月)
個人事業主時代に自分でいろいろと勉強をしておりましたが、この時に知り合った方から倉庫管理システム(専門用語でWMSといいます)の開発の話を持ちかけられ、この方の会社に入ることになりました。
今風に言うとSassのプロダクト開発になります。
一人社長で事業を営んでいた方だったのですが、今で言うインフルエンサーのような方です。元はJavaのエンジニアでしたが、収益の中心はとある分野のコンテンツ販売(メルマガ)をされている人でした。
手を動かす仕事(インフルエンサー業務)からは脱却して、倉庫管理のシステムの収益をメインにしてきたいとのことで、私もメンバーに加わることに。
社員は私一人というような感じです。
エンジニアのレベルとしては正直まだまだ駆け出しでしたし危機感もあったので、かなり勉強していましたね・・・
別会社で1人社長の営業の方(以下N社)がいて、その方がお客さんを集め、収益は基本的には契約者の月額フィーです。
ビジネス的にはF社とN社で売上は折半。費用はそれぞれ掛かった分を自社で負担という感じでした。
獲得スキル
ここで得た開発はその後のベースにもなっており、エンジニアの自力としてはこの会社で身につけた部分がおおいです。
自社開発プロダクト(倉庫管理システム)の基本設計〜
メインでやっていたのは倉庫管理システムの基本設計〜実装です。
技術選定などは社長にきいてましたが、営業のかたと直にやりとりすることが多く、客先にみせるパワポなどをベースに機能を実現するためのテーブル設計、画面設計、実装までほぼすべて私がやってました。
言語はメインでやっていたのがJavaとPerlですね。
インフラ(サーバー構築&監視)
プロダクト開発だけでなく、インフラ業務もやってましたね(というか私しかいないのでやらざるを得ないというのが実態でしたが。)
サーバーがVPSと、この環境自体は少々古めだったのですが、サーバー構築を行いました。(VPSを素の状態で渡されて、通常のコマンドから構築したこともありましたが、途中からはAnsibleで一気に構築してました。)
また土日に障害が発生して、普通に動かなくなる時があるので(汗)途中からZabbixで監視させるなどサーバー監視などもしておりました。
0→1開発を多数経験
他に社長のインフルエンサー業務で使う業務管理ツールだったり、倉庫管理システムのオプション商品の開発など0→1に複数携わらせていただきました。
0→1開発に関しての基本的なスキルはこの時のものがベースになっているのではないかと思います。
フロントに関しては当時Angularがはやっていたころだったので、すこしかじりましたが、メインはサーバサイド(PHP、Perl、Java)+インフラ系の業務だったかと思います。
ブログ、勉強会開催、採用
あとは社長がインフルエンサーだったのと、元々ブログをかくのがすきだったこともあり、少しブログ(https://skill-up-engineering.com/gachinko/)を書いたりしていました。
この技術ブログもその時に作りましたね。また勉強会の開催をして、ここ経由で見習い的なエンジニアを一人獲得することができました(残念ながらすぐ辞めてしまいましたが・・・)
開発上の悩みとしては、やはり自分がやっている作業の方向性ですね。
社長がエンジニアだったので基本的な知見自体はある方なのですが、レビューもなければ、知見を共有できるメンバーがおらず、ほぼ独学にちかい状態での業務が多かったため、暗闇の中を手探りですすんでいるようなかんじでした。
ただ自分でいろいろと考えながら仕事をしてきたという点ではプラスが多かったのではないかと思います。
退職理由
結局2年半程度いたのですが、アイデアを出して開発をするばかりで肝心のプロダクトの採算がとれないこと(売上が月に数万程度でした・・)と社長自身が売上や拡大に対して大きいこだわりがなく、実態としては半ば自己満足的なものとしてこの事業を展開していました。
私も仕事がしやすいからといった理由で入社した経緯もあり、ある意味自業自得ですが、結果として自分自身の収入にもほとんど反映されないなど、ビジネス自体が厳しいとおもったため、退職しました。
3社目D社(2017年9月〜2019年12月)
3社目のD社に関してはF社での業務に悩んでいた時に、自分が通っていたプログラミングスクール(実質的には人材紹介会社)の経営者の方に相談しにいったのが入社の経緯です。
元々1人社長で、運営されており、転職相談をしにいったのですが、以下のような話がでており、社員を集めている&組織拡大を構想しているということで私も参画させていただくことにしました。
「今はエンジニアが1人しかいないけど、人を増やして(当時はエンジニアは私以外に経験年数2年程度の人がもう1人いるのみ)、ゆくゆくは開発組織を大きくしていきたい」
「今はSES事業しかしていないけど自社内開発をしていきたい」
また組織が未成熟なので採用や開発チームのリードができるのではないか、のような思いもあって入社しました。(実質少し、これらの業務に携わりました。)
業務内容&獲得スキル
結局2年半ぐらい仕事をしまして、実質的にはほぼ常駐先(1社のみ)で仕事をしておりました。
常駐先のお客様は不動産関連の自社サービスプロダクトを展開されているいわゆる自社開発企業でした。
サーバーサイドのPHP(Laravel)開発(0→1メイン)
基本設計以降を担当し、ここでも0→1の開発が多かったです。
人がいないため、要件定義〜リリースまでだいたい3ヶ月ぐらいが多かったですね(しかもメンバーが1〜3人)。
F社の業務同様なんちゃってアジャイルに近いスタイルかとおもうのですが、エンドのお客さんにみせるパワポみたいなものをベースにして、そこから開発をスタートです。
ほぼドキュメントはなし(あるいはあまり整備されていませんでした)です。
一番印象に残っているプロジェクトは某不動産業の顧客管理システムのリプレイスです。
リプレイスと言っても現行システムのリプレイスではなく、お客さんが現行で使っている一般の外部サービスのリプレイスで、ソースや設計書などがみれるわけではなく、完全な外部サービスです。
つまり極端に言うと『お客さんが「食○ログ」を今使っているから3ヶ月ぐらいで同じようなものを作って!テーブル定義書も画面設計書もないけどね!』みたいなプロジェクトです。
今考えてもすごいことをしていたなあと思いますね・・・結局作りましたが・・・
他のプロジェクトもとにかくスケジュールがタイトで、作ってとりあえずリリースみたいなパターンが多かったですね。
コードレビューはときどき(不安な部分をリーダーの方に聞いて方向性を確認するようなかんじ)、テストコードなし(自分はデバッグ用に使ってましたが・・・)、規約ツールなどもなしのため、仕様が見たされているかも不安なままリリースということがままあり、問題も多々あったのですが、当時の自分にはあっていたなぁという感じです。
APIサーバーなんかはAPI自体を大体2日で1本のペースでつくったりとかしてました。(しかも単純なマスタとかではなく、伝票登録とか基幹部分のトランザクション系の処理です。)
実質お客さんがテスターで、本番運用中にバグはおろか、仕様もれとかが普通にガンガンありましたし、ちょっとめちゃくちゃな部分が多かったです(汗)
コードもたしかにカオスで、リーダーも問題化されてはいましたが、今考えると人員のリソース上どうしようもないというかんじだったと思います。
このように問題もかなりありましたが、
- CTO的なかたがいていろいろ知見をいただけることと
- コードをとにかく大量に書いていたため、スピードをみにつけられたこと、
- いわゆる開発環境自体はトレンドのものが多かった
などの理由もあり、仕事は楽しかったですね。とにかく早いペースで仕事をしないといけなかった&プロジェクト管理などがしっかりしているわけではなかったため、
- 技術的&仕様上の疑問点でアラートをあげる、認識がずれていないかの確認
- ある程度自分自身でのスケジュール管理
- 周りのメンバーとの連携
- タスクの切り出し
などを注意して、おこなっていました。
サーバー関連はAWS
AWS(EC2、SQS、SNS、SES、Lambda)系のサービスはここでさわりました。
CTO的な方が技術選定やインフラ構築をされており、私もいろいろ聞いたり、見よう見まねで自己学習したりしていました。
フロントエンドはVue
2023年1月現在、フロントはReactが多いと思うのですが、このときはフロントをVueで書いてましたね。(実質、この現場でVueを開発していたのは半年ぐらいですが)
フロントメインの方がフリーランスで週3〜4勤務だったため、いない日だったりとかは私が完全に対応してましたし、身につけたい技術だったこともあり、積極的にいろいろと書いていました。
慣れないうちはわかりにくい概念などがいろいろあって大変だったのですが、一度慣れるとなかなかもどれませんね・・・
今jQueryなどでゴリゴリかくと無茶苦茶コードが増えてストレスが溜まり、Vueで書きたい・・・となります(汗)
Web制作
デザイン的な業務(一般的なWeb制作)もやっているお客様だったので、CSSも結構さわりましたね。
キャリア初期にはWeb制作をしていたので、CSSを勉強しましたが、実はここでガッツリレイアウト系の仕事をするまではCSSに関してよくわかってなかったんですよね・・・ですが、このお客様先でいろいろと勉強しまして、普通に画面系のコーディングができるようになりました。
今でも画面系の仕事は結構好きです。
Go言語でのバッチ作成
また新しい技術で触らせていただいたものとしてはGo言語でのバッチ作成など。
複数のバージョンのサーバーに配置するバッチだったのですが、VPSサーバー(CentOS)のバージョン感の仕様などの差異をおさえたいということでリーダーの方がGoにされていました。
Go自体聞いたことがかろうじてあるぐらいの言語でしたが、CTO的な方から「いける?」といわれ元気よく「大丈夫です!」と言ってしまった手前、祝日も頑張って勉強し、なんとか前倒しでプロジェクトを遂行することができました。
Go自体は型がある言語ですが、F社でJavaをやっていたので、なんとか対応できました。
退職理由
このように開発者として学べることは多かったのではないかと思います。
常駐先のお客さんは開発上、今考えるとカオスなスタイルでしたが、自分としては自由にやらせてもらえたこともあり、あまり不満はありませんでした。
ある意味で無茶苦茶なスタイルだったため、炎上っぽい案件もありましたが、全体としては充実していたと思います。
常駐先のお客様はあまりプロパーと業務委託メンバーをわけていなかったため、今考えるともう少し業務改善的な提案をしてもよかった気がしますが・・・
ただ所属元の会社に関しては元々知り合い&社員のほとんどが元スクール生ということもあり、慣れあいやなあなあの部分が随所にみられ(そういう部分をある意味期待していたので自業自得ですが)、こういった部分で正直不満をもってしまったため、退職をしました。
この時点で2社続けて3年以内、しかも自業自得的な原因が退職理由になっているため、「仕事がやりやすいから」などの安易な理由で知り合い経由で就職するのはやめようと反省しました。
4社目I社(2020年6月〜)
現職です。
2019年の年末に退職してからは個人事業主として前々職(F社)の案件を受けたり、常駐案件にはいったりしていましたが、コロナで個人事業主だと案件に入りにくい・・のような話をきいたため、就職をしました。
最近のSESではよく見られるかと思いますが、常駐案件選択&単価還元方式というかぎりなくフリーランスに近い形態です。
獲得スキル
ウォーターフォール開発(ドキュメント作成&ベンダーコントロール)
主に2020年10月〜2022年3月までのお客様先でガッツリとウォーターフォール型の開発に入りました。
某地図の自社プロダクトを扱っているお客様で、2つほどのプロジェクトに参画しました。
ともにメンバーが常時10人〜20人のようなプロジェクトで、私のなかではともに過去最大級のプロジェクトでした。
ここでは一般的な開発業務もそうですが、ドキュメント作成やベンダーコントロールなどいわゆるウォーターフォール型の開発で要求される知見などを吸収することができたかと思います。
主に得た知見としては以下のようなものになります。
プロジェクトごとのフェーズでやっておいたほうが良いと思うこと
コードレビュー&テストコード&CI&CD
2022年4月からは某アパレル企業にて在庫周りのシステムを開発しております。
案件に関してはなどいわゆるモダンな環境での開発になるかと思います。
いわゆるコードレビュー、テストコード、CI&CD周りなどが完備された環境で仕事をしており、エンジニアとして満足度は高いですね・・・
身につけた知見としましては、以下のようなものになります。
全体としてのよかったこと&反省点
よかったこと
エンジニアという職種の選択
今(2023年1月現在)はITエンジニアという仕事がかなりクローズアップされていますが、私がこの仕事をしようとおもっていた2010年代前半には今ほどの脚光を浴びる仕事ではなかったと思っています。
先見の明があったわけではなく、なんとなくプログラミングが面白そうとおもっただけなので、正直かなり運がよかったです。
この年齢でなんとか仕事ができているため、いい仕事を選んだな、という思いが強いです。
小規模案件からステップアップし、徐々に専門性を気づいていけたこと
かなり時間はかけたのですが、一貫してエンジニアとして少しずつレベルをあげていくことができ、アジャイル系のPHPエンジニアとしての軸はできていたのかなと思います。
勉強をコツコツとすることで着実にスキルが身につけられたと言う実感もあります。
軸をアジャイル系のPHPエンジニアとしつつ、多様な経験をつめたこと
0→1系の開発、小規模〜大規模、インフラ構築、ウォーターフォール型など軸を持ちつつも、多様な経験ができたのはよかったと思っております。
反省点
ファーストキャリアの構築失敗
やはりこれが一番ですね・・教育業界に思い入れはあり、今でもエンジニアとしていつか関わりたいとは思っているのですが、新卒時に就活をせず、塾を選んだこと、結局は今その仕事をしていない(いかせていない)ため、そういった意味では失敗だったといえるかと思います。
(今に活かせていないという意味で)ファーストキャリアは失敗しました。
教える仕事が楽しいで塾の仕事を続けたのですが、職種の専門性や将来性などがわかっていませんでした。
当時はものすごく好きだったのですが、将来性を考えるとやはり休日などでやったほうがいい仕事かと思います。(20年前の自分がいたらそう伝えます。)
歳をとるごとに選択肢は減ってくるので、やはり好きだけで選ぶと失敗する可能性は高いです。
30代前半での職種チェンジ
結果としてエンジニアを選んで、なんとかはなったのですが、今考えると、教育業界の営業職を経験していたので、ここから派生させて、教育業界の法人営業などにスライドさせたほうが、経験を買ってもらえるため、職業選択としては苦労がすくなかったのだと思います。
30代前半での新しい職種となりますと、単純に10年遅れるだけでなく、選べる選択肢は非常に小さくなります。正直、経済的な部分で余裕がなければ選べない選択肢でした。
結果オーライにはなっていますが、ここの見極めが非常に甘かったですね。
年齢の大切さ
先程の30代前半での職種チェンジにもよるのですが、2浪したり、迷いながら塾の仕事をしたり、35歳くらいまでのキャリア構築が不十分だったりと、かなり迷いながらのキャリアでした。
当時は自分なりに迷いながら、この道でいけるのだろうかなどといろいろと選択していたのですが、一言で言うと時間(年齢)を無駄にしています。
なかなか踏ん切りがつかず時間を浪費・・・というパターンが多かったですね。
エンジニアだったのでなんとかなっていますが、他の仕事だと年齢的にほぼアウトであり、もう少し時間(年齢)の大切さを自覚すべきだったと思っています。
全般的にはやはりキャリアリテラシー不足ということになりますかね・・今さら嘆いてもしかたないので、現段階から目指せる方向性で頑張りたいと思います。